東京たてもの園見学記③ 近代和風編
明治時代、西洋文化を一気にとりいれた日本でしたが、それまでの伝統的な建築文化を忘れたわけではありませんでした。洋風建築という新しい概念がもたらされたことにより、改めて、和風建築の魅力が意識されるようになりました。江戸時代以来の高度な大工技術は、洋風建築の流れを受け止めつつ、近世以前よりも柔軟で洗練された域に和風建築を高めました。それら、明治から昭和初期の和風建築を総称し、近代和風建築と呼びます。近代和風建築は、近世の上流階級住宅の流れをうけています。
高橋是清邸 建築年代:1902年 場所:赤坂
規模:木造2階建て
非対称の絶妙な外観をしています。
港区ゆかりの人物データベースサイト 高橋是清邸 (city.minato.tokyo.jp)
高橋是清邸(2.26事件の現場) – 写真共有サイト「フォト蔵」 (photozou.jp)
細い柱で、柱の間隔が大きく、開放的なプランとなっています。
壁がなく開放的です。
開口部上部の桁が一本の長い木をなっており、継ぎ目がありません。
内部はモダンなつくりとなっています。
二階です。是清が旧日本軍将校に殺害された場所のようです。(2.26事件)
二階の床です。
庭が一望できるとても開放的な建築となっています
本来あるべき柱を抜くことにより開放的な空間を実現しています。二階は全体的に柱が少なく、自由な空間が実現される近代和風のひとつの特徴を表しています。また、化粧材として、栂材が全体的に用いられています。頻繁に用いられているガラスは、使用された初期の事例であり、とても貴重であるようです。
耐震性的には、難しいですね。これを、耐震壁がみえないようにして、耐震補強することも技術者の現在の課題となっています。
西川邸別邸
建築年代:1922年 大正11年
木造平屋建て
実業家の接客用兼隠居所として使われていました。
接客用の部屋と日常使う部屋とをわけた当時の住宅プランの主流だったようです。建物西側の2つの十畳が接客空間であり、玄関及び玄関の間、そして、4つの6畳をもつ東側のブロックが居住空間です。
南側ですが、大変開口部の多い建物です。
南北共に開口部が多く、とても開放的な空間となっています。
沢山の部屋を合理的な動線でつないでいます。欄間や天井のデザインなども見所です。