斑鳩寺 保存修理現場見学会
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■見学会概要
建築士会の研修会で、太子町にある斑鳩寺の庫裏の文化財修理工事を特別に見せて頂けるということで 行って参りました。
斑鳩寺は、1400年ほど前に聖徳太子が開創になったようです。すなわち、606年推古天皇の時代に、天皇が太子に、水田の土地を与え、斑鳩の荘と名付けられ、一つの伽藍を営まれたものです。
今から450年ほど前に、堂塔全て焼失したが、その後再建されたようです。太子創建より1000年間は法隆寺の支院(荘園の経営拠点)であったが、火災再建後天台宗となる。
正門です。
三重の塔です。
■修理現場見学 斑鳩寺庫裏
以下庫裏の保存修理現場です。保存修理の工事金額は約4億円。
斑鳩寺庫裏は、建築から370年がたち、破損が激しくなったために御祈祷所、表門ともに文化財修理工事を実施しています。
桁行22.9m梁間13.5m 入母屋造 本瓦葺き 1649年の建築で、県内でも最古の庫裏といわれています
屋根部分を全体的に修理するため、仮設を設置しています。クレーンで瓦等を運ぶため、とても便利ですが大掛かりです。
既存の土をすべて取り除き、屋根を軽くします。耐震性を考えると、現状土というのは、改修時に考えることはないようです。瓦をしっかりと固定していました。
玄関の唐破風の状況です。曲材を使用して 骨組みの状態です。
内部の修理状況です。柱は礎石の上にのります。根腐れの関係で礎石との間に鉛を置いていました。柱のサイズは150mm角
柱のぐらつきを考慮して、柱と柱は、根がらみで緊結するようです。
東棟の小屋組みの状態です。
建物自体は傾きが当初ひどかったようですが、なんとか補正できる範囲におさまったとのことでした。
■図面による解説
①建築当初の図面(1649年)
建築当初の図面です。当初は、玄関から縁側を通り 各室へ入るという動線だったようです。のちに変化します。
土間や式台、玄関と15室も部屋を持ち、大正頃に東側の棟の増築が行われたようです。
客殿エリア、中間エリア、生活エリアが結界(三枚戸)で明確に区分されており、明確なゾーニングがなされています。
柱は松、楓材、を中心に檜が混じり、梁、床組みは松です。増築部分は、柱は栗、小屋組みは松材。大黒柱はケヤキを使用。
材種の選択は、基本的には、その時所有の山でとれる材を使用していたようです。
②江戸末期の図面(1859年)
解体現場にはいると、この時代の復元図を作成していくことが、とても重要な作業のようです。
1859年頃の状況を復元した図面です。
③現状の図面(修理前)
現状の図面です。各室は、天井の高さにより空間の仕切りをしているようです。釘隠し裏の墨書きから建築時の主要な墨書きが明らかになったようです。
④修理後の図面
修理後の図面です。耐震補強はしっかりと行うようです。計算は限界耐力計算でおこなっていました。上部の材種を確認して、荷重計算をしていきます。壁は荒壁パネルにより補強します。
補強場所は、赤の部分ということでした。
耐力壁の補強は、できるだけ、既存の状態を変更することのないように補強箇所を最小限にして、効果的な補強を狙っているようです。
これだけの大きな規模で 大屋根の荷重が重い状態で、壁量を少なくして 開放的な既存の間取りを成立させていくことは、それなりに苦労が必要な業務となるようです。文化財の復元改修工事は、単に 改修工事をおこなうというのではなく、成立した当時の状況を再現しながら、それをそこなうことができるだけないようにして、補強をおこなっていくため、通常の耐震改修とは違った観点が必要であろうと思います。
以上
文化財の修理工事見学の報告でした。